January 02, 2006

善光寺参り3

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善光寺は江戸時代には
一生に一度は「善光寺参り」をしないと
極楽往生ができないぞっ!とまで言われた
日本有数の庶民信仰のお寺なんだそうです。

我が家は善光寺参りが割と好きで
(好きとか嫌いとかの問題ではないと思われますが)
最近はほぼ毎年お参りしています。
小学校の遠足に始まり、
もう何度もお参りしたからだいじょうぶかな?
極楽浄土への切符は手に出来るかな?

ご本尊は一光三尊阿弥陀如来、特定の宗派を持たないお寺。
ご本尊のルーツ(詳しくはコチラで)は
今から2500年もの天竺(今のインド)。
後に朝鮮半島の百済に渡り、欽明13年(552年)に
時の欽明天皇に献上された日本最古の仏像なんだそうです。
(そのお姿は誰も見ることが出来ないのだそうで…
ご開帳でお目見えするのもご本尊の代わりの「前立本尊さま」)
当時、まだ日本には宗派というものが存在していなかったから
無宗派のお寺なんだそうですが、
無宗派のお寺って何だか俗っぽいような、すごく庶民っぽいような
よろず神を拝む私たちに相応しいお寺のような
気がしております。

そういえば、KUROが昨年厄年でしたので
昨年のお参りでは護摩祈祷をお願いしたのですが
秋には善光寺からDMが届きましたですよ(笑)

***

護摩=梵語でホーマ(homa)焚く、焼くなどの意味をもつ言葉。
仏の智慧の火を以て煩悩を焼きつくすことを表す。

いい護摩ネットなんていう
護摩のオンデマンドサービスがある!ビックリ!
こんな時代になりましたな〜。

***

そんでもって善光寺の宗派は無宗派といいつつ
実際のところは天台宗のご住職が山門左手の「大勧進」を本拠地に
浄土宗のご住職が仁王門左手の「大本願」を本拠地に
されているそう。

江戸時代中期の寺院建築で国宝。
現在の本堂は宝永4年(1707年)に完成したももので
古さからいっても東大寺大仏殿、三十三間堂の次だとか。
そりゃスゴイ。

それから私は今まで知らなかったんですが(お恥ずかしい)
ご本尊が本堂正面にはないのだそうです。
本堂が3つに分かれているのは知っていたのですが
ご本尊は左側の瑠璃壇に祭られているそうで
左側をお参りしなければ意味がないとか。
真ん中は善光寺の名前の由来にもなった
創健者の本田善光さんが祭られているそうで
(でも、境内で人員整理をしているお兄ちゃんは
左側の出口方向へと参拝者を促すためにか
「真ん中はただの塗り壇ですうぅ、ご本尊は左側ですうぅっ」と
拡声器で何千回とリピートをされてましたが???

善光寺公式ページ

おまけ:
慣用句「牛にひかれて善光寺参り」のトリビア

むかーしむかし、小諸の山のふもとに
大の信心ぎらいのおばばがいた。
観音さまの
お祭りの日に布を乾かすと不吉なことがあるといわれているのに、
そのおばばは千曲川のほとりで布をさらしていた。
するとそこに牛が現われ、角に布を巻きつけてかけ出したので
おばばも慌てて後を追った。
牛は善光寺まで来て、金堂近くで消えてしまった。
日も暮れたのでおばばは本堂で一夜を明かすことになった。
その牛が夢に現われてヨダレで字を書いた。
「牛とのみ思いはなちてこの道に、なれを導くおのが心を。」
おばばは大いに悔いて、念仏をとなえながら一夜を明かした。
翌日、家に帰って観音さまにお参りすると
崖に布が化石となっていた。
さては牛は如来の化身であったかと、それからは信仰厚くなり
極楽往生をとげた。
以来、この観音を布引観音という。

転じて
『本心からでなく他のものに誘われて、思いがけずに善事をすること』
の、たとえ

梅村旅館うぐいす亭HPより引用させて頂きました。

[布引観音]もよござんすよ♪

人生経験に宿坊に泊まる旅などもいずれは・・・と思う
年の初めはじめでした。


takamaien_n at 23:31│Comments(0)TrackBack(0) 徒然ニッキ 

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