メディア
March 02, 2007
メディアリテラシー
今、読みたいと思っている本です。
先日の藤屋の記事にコメントをくださった、ガッチさんのブログを読んでいたら
放送倫理について物議を醸もす問題となった「発掘!あるある大事典」の
納豆ダイエット捏造問題のことが書いてあった。
私もこのテーマについて書こうと思っていて、タイミングを逸していたので
少し自分の意見を書こうかな。
「あるある・・・」は、健康志向が高まる昨今、高視聴率をマークしてた番組だし
私の知っている人にも「あるある」信者のような人もいて
月曜日の世間の消費動向にも多大な影響を与えていた番組ですよね。
私はその報道を知ったとき、正直言って「あーあ、ついにバレちゃいましたね」・・・と思った。
確かに捏造はいけないことだと思う。視聴者を裏切ることだと思う。
でも、なんで「あるある・・・」だけが吊るし上げられるの?とも思った。
お気の毒な感じもしました。
だって、テレビ番組に何を期待して信頼してたの?そんなに信憑性を追求してたの?
所詮そんなもんよ、テレビなんてさ。だって娯楽番組じゃん。
と、思ってしまった。(ゴメン、言い過ぎか・・・)
私もその番組を見ていた。
毎日2パックの納豆は食べなかったけど、ちょっとは期待をして
1月はいつもより納豆の消費量が多くなったかもしれない。
「そんなのウソだよ。○○さんは痩せても、私はどうかな・・・」とは思わずに
納豆パックに手を伸ばしたのはワタシだ。
「あーあ、また乗せられてるよ全く。単純だね」
「でも、この私の単純さが経済を支えているのだわ。いいのいいの食べましょう♪」
なんて思ってましたので、別段というか全くと言っていいほど腹はたちませんでした。
コロっと騙されちまったぜ。とは思いましたが。
食べたいショートケーキを我慢して、納豆を朝も夜も食べて、
それで、痩せられるかも・・・の夢が買えるんでしょ。自分が選んで自分のお財布で買うんでしょ?
溢れる洪水の中で、何を選び、何を信じるかは、視聴者や消費者にも責任があると思う。
私は「あるある・・・」はメーカーとのタイアップ番組だと思っていた。
そろそろ新商品が出るんで、特集してもらえませんか? とか
最近、売上げが伸び悩んでいるので、ここでひとつ「あるある」さんで取り上げてもらえませんか?
って、メーカーの広報担当が売り込み合戦をしているんじゃないかと。
---少なからずあったはずだよね。それは想像に難くない。
花王の一社提供の番組だったから、そういう別の形でのスポンサードがあったのだろうと。
つまりあれは広告番組だと、そう思ってました。違ったのかしら?
広告。
ダイエットのCMだって、化粧品のCMだって、使用感や結果には個人差があるって
小さく小さく書いてある。
洗濯洗剤だって、あんなに綺麗になるわけないじゃんって知っている。
テレビだって、ラジオだって、インターネットだって、新聞だって、雑誌だって
みんなみんな広告で成り立っているんだもの。
企業は何百万、何千万っていう高い広告料を払って、その「枠」を買い上げているんだもの。
悪いことなんて書けるわけがない、表現できるはずがない。
---というリテラシー(読解能力)がなければ、メディアに振り回されちゃうってことなんだよね。
数日前に美容院で、雑誌「ヴォーグ」をペラペラめくっていて
それをヒシヒシを感じていたところだった。
そしたら、ガッチさんの記事に出会い、今日の日本経済新聞の「モードの方程式」にも
“女性誌のお約束”っていう記事が載っていた。
以下、記事より抜粋。
ファッション誌のやらせにウソ、というか「演出」の甚だしさにおいては
テレビの比ではないように感じるのだが、批判がきたという話を聞かない。
情報の送り手、受け手の双方で、ファッションは夢だから
という大人の了解が、成り立っているんだろうか。
(中略)
かくして送り手と送り手による「ウソをマコトにする」不思議な共犯関係が
流行を生んでいく。
(後略)
セレブな主婦モデルが、ブランドスーツに身を包み、バッグも靴もブランドで
にっこり微笑んで「入学式はコレで決まり!」---って
あのなー・・・じゃありませんこと?
これってただの僻み?---違うと思うんだけども。
まあとにかく、広告はすべてが“まやかし”だとは思わないけれど
答えは決してひとつだけじゃないということ。
物事は多角的に捉える必要があるということ。
自分が考えて選ぶという大人の責任感が大切だということ。
そんなことを今日は考えました。
世界を信じるためのメソッド―ぼくらの時代のメディア・リテラシー(amazon)